震災から五年が経過した今、思うこと・・・
『お寺とは』と考えると
亡き人の供養をするところ、と
頭に浮かぶが、
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震災から多くのお坊さんが、
人を導き、集い、心の苦しみを分かち合い
安らぎを与え
布施のできない人には子供の頃からの身の布施を伝える様は、
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寺が真の『人として生きる道を学ぶ場になっているのだ』と
思えてくる。
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鑑真和上は、754年
日本のお坊さんに戒律を伝え
守ることを誓わせる為、
祖国を捨ててまで
日本への渡航を自ら名乗り、
目も不自由になりながらも
幾多の困難も克服し
日本という国にお越しいただき、
仏教の他にも薬草等多くのものを発展に導いた経緯がある。
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和上の100年前には
聖徳太子が悲打田院(ひでんいん)をつくり、
孤児や貧しい人々を救う施設をつくられたが、
鑑真和上も
子供や病気の人等の施設をつくり
薬草等をほどこしていたと言われている。
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長い年月をたどり
この震災から
あの鑑真和上の魂が動き出したように感じられた場面がある。
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親しい知人も震災当時から被災地に足を運び、
被災者の苦悩を取り除く取り組みは、
宗派を超えた仏教の姿があり、
しかし、お坊さんも人間であり
目前で『たすけてー』叫び流される姿を目の当たりにし
無常を感じたこともあるであろうが、
日常の暮らしの中での考え行いが
気づきとなって自分をふるい立たせた場面を
見させていただいた。
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寺へ人々が集い
お坊さんから
苦しくても辛くても、
また、楽しいとき、嬉しいときは、
ともに喜び、
生きていくことへのエールを送り
再び
自分等が何ができるのかと考える様こそ
鑑真和上から教えをいただいた戒律が生きているだと
なんともおこがましいが
未熟な自分から感じた五年目であり、
お坊さんでなくても人として何ができるのかを
考える朝の時間となった。
ありがたい。