震災から五年が経過した今、思うこと・・・

『お寺とは』と考えると

亡き人の供養をするところ、と

頭に浮かぶが、

震災から多くのお坊さんが、

人を導き、集い、心の苦しみを分かち合い

安らぎを与え

布施のできない人には子供の頃からの身の布施を伝える様は、

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寺が真の『人として生きる道を学ぶ場になっているのだ』と

思えてくる。

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鑑真和上は、754年

日本のお坊さんに戒律を伝え

守ることを誓わせる為、

祖国を捨ててまで

日本への渡航を自ら名乗り、

目も不自由になりながらも

幾多の困難も克服し

日本という国にお越しいただき、

仏教の他にも薬草等多くのものを発展に導いた経緯がある。

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和上の100年前には

聖徳太子が悲打田院(ひでんいん)をつくり、

孤児や貧しい人々を救う施設をつくられたが、

鑑真和上も

子供や病気の人等の施設をつくり

薬草等をほどこしていたと言われている。

長い年月をたどり

この震災から

あの鑑真和上の魂が動き出したように感じられた場面がある。

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☆・・・☆

親しい知人も震災当時から被災地に足を運び、

被災者の苦悩を取り除く取り組みは、

宗派を超えた仏教の姿があり、

しかし、お坊さんも人間であり

目前で『たすけてー』叫び流される姿を目の当たりにし

無常を感じたこともあるであろうが、

日常の暮らしの中での考え行いが

気づきとなって自分をふるい立たせた場面を

見させていただいた。

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寺へ人々が集い

お坊さんから

苦しくても辛くても、

また、楽しいとき、嬉しいときは、

ともに喜び、

生きていくことへのエールを送り

再び

自分等が何ができるのかと考える様こそ

鑑真和上から教えをいただいた戒律が生きているだと

なんともおこがましいが

未熟な自分から感じた五年目であり、

お坊さんでなくても人として何ができるのかを

考える朝の時間となった。

ありがたい。