崇高な傍(はた)を楽にする働き
(デイサービス華蓮)
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早朝のTVから流れてきた言葉を自分ながらに思い返すと
・・・・・・
隣人を必要としている隣人を大切に。
宗教と言う免許を持って働くのではなくても
“はらわたを突き動かされる”
その思いが湧き上がる内的な動きから
傍を楽にし、
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宗教も一生懸命すがりつかなくても
無宗教でも
そのような傍を楽する働きを
天は
望んでいるとも・・・
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その届いた言葉から
ふと
浮かんできたのは、
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(心の声によりそう・・安心)
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・・・・
★
介護に悩み
藁にもすがる想いでたどり着いた場所で
お医者様から、
それまでの
苦労をねぎらう言葉をいただき
目には見えない大きなやさしい光が
体中に届いたときには、
“崩すまい”と張り詰めてきた強固な心がもろに崩れ
誕生時にいただいた柔らかな心が
今一度、
息を吹き返したような話を思い出した。
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気高い内的な心が動いたときには
必要とした隣人だけではなく
自ずと働かせていただいた隣人も
幸せな心地良さをいただける。
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人は
ほんとうは、
このような心地良さを
生まれながらに欲しているのだろう。