人が人として生ききる権利
講義資料作成の為、乱読中でありますが、
日本国憲法の個人の尊厳、基本的人権は誰もが知るところですが、
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日本には日本古来のなじみのある個人の尊厳、生ききる支援のスタイルがありました。
二宮尊徳は早くに両親を失い背中に薪を背負い働きながら学び続け、空き地に捨て苗から一俵の米を作りあげました。
尊徳は誠実、正直、親孝行、慈愛、勤勉など戦前、日本人の国民性を体現した手本として仰がれていましたが、戦後は忘れ去られることが多くありました。
その二宮尊徳は
「どんなに苦しくても親が子の成長を無償の愛で育てるように、農家を営む人々も昨年の出来が悪くても翌年も作り続けている」
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「親が子を育てるように農家を営む人達が田畑を耕し続けていることは我が道と同じ道理である」と説いています。
人は人として生き続ける権利があり、それはだれもが阻止できないものであります。
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世間的には貧乏だと思われても天からの太陽に象徴される天の恵み、
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地と人の恵みによって捨て苗から1俵の米が出来たことは、
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金持ちも貧乏人も分け隔てなく天地の恵みが降り注いでいること、生かされていることへの深い感動と悦びであるとも・・・
尊徳はこれを「徳」と呼び徳に報いることが“人間の道の根本”であると知ったのです。
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尊徳の生涯を貫いたのが”感謝の心と報徳の道”であり、尊徳はこの精神で衰退した600もの農村を再建しました。
二宮尊徳の「無利息金銭貸付法(報徳金)」は、親が子を思う心と同じ心で創設したのかと思います。
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お金を貸し付けた利息が目的ではなく、
困窮している人々に無利子で貸し付け、何とか生きる力を身につける為に”貸し付け件数が増えること”が目的だったのです。
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これは太陽が万物を照らし永遠に育成していくことと同じであると説いています。
「人が人として生きていくために生まれながらに持つ権利」を、身近な周りの人達に捧げることが天の理に叶っていることと“人権”から思わせていただきました。
認知症の人の権利も、何も言わずただひたすらに日本の土台を築いて来た多くの人々であります。
ものが上手く言えなくなっても、誰かの手を借りるようになっても私達がそこに支援をさせていただくことは、
人が生ききる為の自然の理であり特別なことではないことを思い起こさなければならないことなのでしょう。
それは、未来の自分への発信であり
今の仕事からの”徳積”が心の貯金となり豊かな心と心地よさを体得したならば、
自ずと安定した老後の自分と巡り会えることなのでしょう。
まだまだ浅学ですが・・・