意識と無意識の行動

インターネット、テレビ、ラジオ、新聞等、

多くの情報が

一人の人間に無意識に入ってくる場面があるが、

人は自分に、

より密着した情報を取得し

無意識のうちに

その情報にコントロールされているのか。

医療の現場は、いまや大変な思いをしている中での働きであり

現場で働く看護師の感染からの死亡は、

なかなか表に出てこないが

多くの情報の中で耳慣れた自分等にとって

あえて今の困窮した状態の中では、

表に出すことも必要なのかと

休日に押しかける

多くの人々を診察する病院の働きに感謝が募る。

介護現場においても

コロナウイルス感染病が無い時代には、

熱が上がると

嚥下性肺炎か、尿路感染か、時期によりインフルエンザか?と

現場ならではの優先順位が浮かんできていたが、

今は、いの一番に浮かんでくるのは新型コロナか?と、

現場は不安に駆られてしまうが、

この不安を払拭する為に

脳裏に浮かんでくる優先順位を変えようと努める自分も存在する。

その一方で

夕方のコロナ発症人数の報道に自ら導く自分もいる。

人は、無意識に防衛に入りながらも

その非常事態の情報を獲得しようとしたり、

また、

TVから温暖な観光地には大勢の人が押しかけていたが

その行動にも意味があり

非常事態を忘れようと旅や、

外食に出たりするのも不安を払拭する行動であるのか、

ちょうど求めるように

施策のGoToからの行動も

自覚しながらも平常心を求めている作用であるのか?

心理的作用も視野に入れた施策が必要なのかと。

発熱からインフルエンザでもコロナでも無かったという

診断情報に一喜一憂する

介護家族や介護現場は、とても疲れてきている。

感染防衛に明け暮れる介護現場のヒリヒリする痛みから

さまざまな思いが沸き上がってきた。