面接は人生の中の出会いの一部

 丁寧な面接は人としての真摯な気づきを互いにいただき、人生における方向性を示唆するものとなるのか・・・

先日、45才の男性に面接においでいただいた。
インスピレーションが大事と日頃から思っていたが、やはりこの時も深く心にはいるものがあり、どのようにするとこの男性を食べさせることが出来るのかと、考えながら面接を行った。

言葉には言い表すことのできない芯の深さと、一日を無駄には生きていないというエネルギーを感じ取ることができた。

まだ、資格を取得してまもない彼に、お年寄りがこの場所に至るまでの喪失感や喪失感から、ようやく知り合うことが出来るようになったスタッフに対しての思い・・・・
この思いが、いとも簡単に「嫌だから辞める」という、感覚は更なる喪失感で心にダメージを与えることを伝えさせていただいた。

しばらく、じーっと聞き入り考えていた彼の口から重々しそうに「すいません。子供の都合で○○へいこうと思います。長くは働くことが出来ません。・・・
自分は介護を甘く見ていました」と言う言葉を告げられた。

あーやっぱり、この人は良い人だったのだ・・・・
ありがとう。伝えてくれて、と・・・・・残念だけれどもすがすがしさを与えていただいたことの方がづーっとありがたく感じ感謝の念が起きてきた。

2日後に彼から丁寧なハガキがとどきました。
一部分を抜粋して・・・

昨日は、貴重な時間とお心使いをありがとうございました。
初めてこの人の下で仕事をしてみたいと思える人に出会えたことを嬉しく思うと
同時にそれが叶えられなかったことが残念でなりませんでした。

利用者の方にも、スタッフの方にも本気で接しておられる姿に深く感銘を受けました。

効率だけが求められる社会に反発してきましたが、どこへいても効率の波は押し寄せ漂流つづけるはめになりました。
福祉という概念が無くなる社会が本当の福祉の社会であるような気がいたします。

以下プライバーシーの為に省略します。

彼からのハガキから、これからも面接における人との出会いと、ご縁を大切に精進して行こうと思うと同時に彼には、どこへ行ってもエールを送りたいと心底思わせていただきました。
彼が撮ったと思われる樹齢○○年以上の写真をいただきました。
偶然にも何年か前から、この木を見に行こうと思っていたのでこの木からご縁を頂いたのかも知れませんね。
人も自然の一部ですから・・・
素敵な出会いでした。感謝です。ありがとう。