コロナ禍から窮地に立たされた認知症の人

 

高齢者も

認知症高齢者も

さまざまな事故から頭を打撲し病院へ担ぎ込まれた若者も

今、どこにいるのか

なぜ、自分は真っ白な空間のベッドで寝ているのか、

家族は、

友人は、

どうしたのだろう

 

早くここから立ち去らなければ・・と

強い焦燥感に襲われる感情はまさに認知症を患う高齢者等も同じである。

 

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介護現場の人等は、

いつも

日常的に個別にあらゆる手立てを考え、

十分ではなくても

悩みながら、

○○さんには、どのように対応したら心が落ち着くのだろうと、

人手の少ない夜勤時も走り回りながら考え、

その人の過去情報から

少しの言葉を届けると

今、頭が真っ白になって混乱気味だったその人は、

 

「あー、自分のことを知っているのだ。どこかであったような気がする」と、

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少しの安堵感に満たされ

少しの会話が不安を遠ざけ

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遠くを見ていた眼差しが

グーンと近くに迫ってくる。

 

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認知症ケアは、

何十年も続いているのに

まだまだ、巷に届いていないことがコロナ禍から露呈され、

『認知症になって申しわけありません。』と、

言いたくなるような報道が耳に入るが、

反面、介護現場で働く人等が

いかに懸命に認知症の人を支えているかの裏返しでもある。

 

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報道から

何を学び

何が不足していたのかが

今、混乱した世の中から早急に察することがこれからの学びに共通してくる。

 

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認知症と診断された人々だけに焦点をあてるのではなく、

老人クラブも

若者の集いにも

町内会も

あらゆる学びの学校も

商店街も

金融機関も

PTAも

 

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地域の人々がスクラムを組み

今、認知症の人が困っていることからの

対応からの失敗や、成功も、

すべてをさらけ出し、

多くの誰もが通る認知症と言う病気から

共に生きる術を地域から攻略することが近道のように思えてきた。

 

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地域には

まだまだ、

まだまだ、

悩みながら、ひとりぼっちの認知症の人が

自分なりに

必死に努力し

自分のことより、

息子を案じ、

娘を案じ、

家族を案じながら生きている。

病院でも

地域でも、

介護する家族も、

認知症の人のBPSD(認知症の行動・心理症状)が強い時には、

「困っています。助けてください」というシグナルだと察知し、

 

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専門医や医療ソーシャルワーカーの調整を身近に寄せ、

相談し、

ソーシャルワーカーは苦しむ認知症の人や、

地域を救済する手立てを医師と連携し、繋ぎ、

地域が極限まで我慢することなく

今を生きる人として

不安を遠のけ

再び

共に生きようとしているその人を忘れてはならない。

 

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そう考えると

地域には

多くの民間コーディネーター(有償ボランティア)が必要と自分は考える。