終末
3時45分
夜勤者の心細さをカバーする為にも看取りの人の早朝訪問をする。
居室は湿度も保たれすやすやと寝ている。
〇さんは、全く苦しさはない。バイタルは悪いなりに安定している。
むせ込みが強くなり水分停止指示をいただいた。
前回の同じ夜勤者から
『数日前まで、水分を補給すると咳込んでいましたから
今の状態とはちがいます。今は穏やかです』と言う。
『若い時には天秤を担いで長い距離、水を運んだといいますから、
体の芯がみなさんとは違うのですねー』と過去を知る女性スタッフからも。
苦しさの葛藤のなかで最期を見届けるほど残される人にとってこれほど辛いものはない。
石飛幸三医師は老衰や認知症の終末期には自然に任せる平穏死を話されている。
確かに、これまでの支援の中においても、
認知症の終末期における平穏死を望まれた人が多く存在する。
子どもさん等が夫婦で何組も来所され本人を中心として取り巻く中、
本人は、周りをぐるりと見渡し点呼をするように頷きながら確認し、
子供さん等は互いが過去を懐かしむ会話をしているうちに
「あれ!おやじ逝ったんでないか」と看取った平穏死もある。
枯れるように亡くなることは
眠るように逝くこととなる場面を、
先に旅立った人々から再び教えをいただいた思いだ。
今、〇さんは、誕生から今日までを愛おしむ日々をお過ごしになっているようだ。
北見市内には、
自宅や施設への最期を見届ける独立された医師は数名しか存在しない。
24時間の勤務の仕事の過酷さを真に受けている姿に
「これでよいのか?」と思う気持ちと、
頼る気持ちに申し訳なく思う気持ちが重なってくる。