もう一人の自分からの採点

なぜ生きるのか、

人生においては、困難とぶつかることがあるが、

何とかしようと思うと必ず乗り越えられるものだ。

 

自分は、介護の夜明けのような20数年前の頃であるが、

大きな施設の立ち上げ準備施設で、与えらえた大きな仕事に悩み

『辞めるのはいまだ!』と、日々悩み

まんじりとせず朝を迎えたが

急に!

大きな音が空からふってきた!

え!今、何と言ったんだろう!

あっ!

『楽をすると思うな!』、

えっ!

そうか!やめる事は楽をすることなのだ・・と!

一瞬考え、

同時に、

「おっかない!!」と思う恐怖心が高まり、

思わず、

布団をかぶったが、

・・

その後、

自分は『これが自分から始まった人生において与えられた修行なのだ』と

心に刻むことができた。

 

また、森信三氏の著書から、

封建制度時代時に生きた二宮尊徳氏の

職業天職観から、人間は職業に従事しその仕事により「生」が支えられている以上、

いつ、いかなる時代においても妥当することなく、

かつ、職業天職論の持つ真理性を知り

ただ生活を支えるだけではなくその深い意味を知ることが大事であるのだと。

与えられた職業の真理を知ることで、

『なぜ、自分はこの職業に就いたのか』

与えられた職業とガッチリ向き合い、

努力し研究をすることで

自ずと我が身に仕事からの栄養をいただき、

また誰かに少しでもお役に立てる自分ができると

仕事からの喜びを実感することができるが、

自分の仕事を嫌うと仕事の方が離れていき、

つまらなく、

不機嫌で、

周りまでその影響を与えると、

見えない心の不浄を重ね

一日が長く感じるだろう。

 

🌹

反面、

悩み、考え、学び、活かすことで

喜びと感謝が沸き上がり、

仕事の方から近づいてくるようになる。

自分の介護の幕開けは、

そのような体験から始まった大きな介護からのトライであったが、

だからこそ、ご縁のあった人を大事にしなければならない。

周りの人も、

地域の人も、

大袈裟な話に聞こえるかもしれないが、

いつも空から見られているという想いから、

『襟を正さなければいけない』という重石をいただいたように思う。

だからと言ってすべてにおいて素晴らしい人間になったわけではなく、

まだまだ半端で、自分と闘う自分がいるが、

困難と逃げずに向き合い、

必ず立ち上がると、

目の前は必ず開けてくるのだと自分は確信する。

今は、大きなことではなくても

一日、一日をせいいっぱい四方八方に生きることが、

自分から始まった人生における決着でもあるのだと思う。

今日もどのような一日なるのか、

堪えられる自分がいるか、

多くを抱え込める自分がいるか、

もう一人の自分から採点してみることとしよう。

 

 

 

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