出会いと別れ
事業を通して様々な人との出会いがある。
認知症を患い足腰の不調を訴えるお母さんを少しでも心身の衰えを防ぐことは出来ないのかと一心に案じ、自宅でも努力されていた息子さんが先日お亡くなりになった。
残りわずかとの宣告を受け、ケアマネの指名をいただき意思の疎通が図れた当事業所所長が親子を担当する事となった。
息子さんが相談に来たときの親を思う真剣な表情と態度が走馬燈のように浮かび上がってきた。
息子さんの最後の場面では、息子さんの真剣な生き方を象徴するかのように痛みも極限になるまでこらえ、子供さん達もしっかりと残された母や祖母を支えていた。
故人となった息子さんの志は子供さん達に真摯に受け継がれているようである。
最近は、急な病気の宣告から介護保険を利用する方が多くなっている。
認知症という病気の人も病気の宣告から余命を言い渡され苦悩されている人も、
共に人生の残りの章を心安らかに残りの人生を有意義になるような支援を微力ではあるが事業所全体で支えさせていただきたいと思う。
風難ー急ぐこと・焦ること
「考える間」をもとう
雲来鼓掣電(うんらいぐせいでん) 降雹樹大雨(ごうばくじゅだいう)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき)応時得消散(おうじ とくしょうさん)
雷鳴とどろき 雨あられ降りしきるとも
観音を念ずれば ただちに鎮まるのである
庭の雑草を1本抜くことが心の雑草を1本抜く事につながる。
著者は雷も悩みも同じであると説いている。
日々の暮らしの中に病気が雷のように襲ってくると今までの生活が一変し理性を失ってしまうことがあるが、
辛くても悲しくても、ぐっと我慢し庭の草を1本でも抜く間のとり方がこの世の旅を静かに穏やかに続けていくのだと・・・
人は最期の最後まで人生という修行をさせていただける使命をもち、この修行から悟りを得られたとき穏やかに修行の旅が全うできるのだろう。
参考文献 観音経入門