高齢でも元気なときから、治る病気と治らない病気のときの希望をお聞きする
土曜日の札幌での『高齢者の終末期医療を考える会』へ参加させていただき、
個々のテーマである『高齢者の終末期医療は、良くなったのか?』を拝聴させていただいた。
(朝)
宮本礼子先生には、北見での講演依頼も兼ね
札幌講演現場にて直接拝聴させていただいたが、
初めて参加したその日が、会が閉じる日であったことが判明し
非常に残念であるがとても幸運だったとも思えた。
参加していた医師等からは、癌の治療にあたる医師等は、
何とか目の前の人を救おうと「命は地球よりも重い」との言葉と共に、
積極的医療へと邁進していた。
しかし、若い人と高齢者の医療と同じで良いのかという
『デメリットについても考えるようになった』と話されていた。
癌の薬も良いものもでき、医療も変わってきているという。
高齢者の癌治療のガイドラインも出され、ご本人の体力をみながら治療していく時代となった。
認知症の人の病的な体の変化は、
上手く訴えることができないことが多く発見された時にはすでに手遅れという
場面も多い。
現場におけるバイタル測定や、『いつもとちがう』という
介護者の人等の言葉を尊重することで
往診医師や訪問看護等と早期の治療に結びつくこともできる。
母もちょうど1年前の今頃、乳房の下付近に皮膚変色があり
市内の専門医受診から基幹病院の皮膚科専門医紹介をいただき
早期の日帰りOPと、数回の通院治療で完治することができた。
これが独居で何も支援を受けない状況だと、
進行し衰弱してからの医療へとなると互いに疲弊もするだろう。
自宅においても、外部介護保険等どこかと繋がること(デイサービス等)や
変化の早期発見から、担当ケアマネージャーの新たなプランつくりや
医療との連携が密になるプランができる。
母は周りがコロナに罹患しても感染せず、今も誰よりも元気である。
しかし、延命は希望をしておらず
治る病気と治る見込みのない病気の方向性を
早期のうちから決めておくことで
生きることが限られた期間であっても質の高い豊かな日々を暮らせるのだと思う。