過疎地と「大学」9.
詩(し)に云わく、邦畿(ほうき)千里(せんり)、維(こ)れ民(たみ)の止(とど) まる所(ところ)と。
詩(し)に云わく、緡蠻(めんばん)たる黄鳥(おうちょう)、丘隅(きょうぐう)に止(とど)まると。
子(し)曰(のたま)わく、止(とど)まるに於(お)いて其の止まる所を知る。人(ひと)を以(もっ)て鳥に如(し)かざるべけんや。
詩経(玄鳥篇)に王城の近く千里は文化も進み、生活も比較的豊かなので、民衆が集り、 長く止まる所と思うのは当然である。
○ 詩経(緡蠻篇)に「ゆったりとのびやかに黄鳥(日本の鶯に似た鳥をいう)が、丘のほとりに止まって鳴き続けている」とある。
孔子は「鳥でさえ安じて止まるところを知っているのに、人として止まるべき至然即ち正しい所を知らないでよかろうか」と言われた。
「大学」を素読するより引用
古来、経済が発展すると人が集まり、人が集まるとますます経済が発展する。
自然の流れであるが、今、若者が過疎地にあえて向かい人生の瞬間を生きている人々がいるのも事実である。
人生の価値の基本の置き方により目の前の石ころは宝となり、他者から見て宝は石ころとなる。
過疎地を豊かにするために少しの支援を行うと一人でも多い若者がそこに居着くことができる。
若者が住み着き子供が生まれ、又豊かな地域が戻ると日本を支えていた地域の高齢者も安心することが出来るだろう。
しかしながら、過疎が進む町から会社の存亡をかけ金融機関が都市部へと進出が始まっている現実である。
日本ながらの美しい風景は財産であり、そこに人が住み着くことが出来る工夫も民と公の努力であると思う。