時代に流されず物事の真意をどう判断するのか
各、事業所においておはぎつくりが盛んに行われておりますが、
今まで手にしたことのない高齢者男性が調理に、すいすいと参画する場面を多く見受けられます。
昔は男性は厨房に入るべからずという言葉があり、男性が厨房にはいると値打ちが三文安くなると言う意味がありました。
しかしながら、そのような思いを払拭すると男性は手先が器用な方が多く丁寧な仕事を集中して行う男性を多く見かけます。
同性介護といいながら、これからの団塊の世代では異性介護を希望する女性軍が多くなるかもしれません。
時代はいつの時代も頂点まで行くと、そこから正反対な方向へと極端に変わる場面が過去にも多く見受けられます。
例えば、母乳がいまやもてはやされておりますが、
過去の歴史の中にはミルクが一番だと伝えられ、母乳を止めてまでも粉ミルクに変えているかたも過去にありました。
卵の摂取の仕方等「今は違う」という言葉の中から、
何でも、ほどほどの中心がよいのかと思わされることは人生の終盤から思うことなのでしょう。
人生の経験は言葉の真意を捉える働きとなり、
それが子供と青年、中年、高齢者の生き方への違いとなって現れてくる場面も多いように考えさせられます。