究極の心の痛さで気づくよりも「心」が少しでも元気なときに気づいてほし い!
日々の平穏な暮らしの中では気づくことができない真実の価値観は、
究極の心の痛さから思い出る時に本当に大事な価値観と遭遇する事がありますが、
「降りてゆく生き方」は同じ会場で同じ映画を視ているのだけれども、
心に宿るのは個々の内面から湧き出る気づきであり、
その気づきのノックは奥深く余韻を残しながら打ち続けていきます。
一人でも多くの方に、この気づきを届ける為に互いに眼をさまそうと・・
「降りてゆく生き方」に賛同する人々が「無財の七施 」のように、
心施や身施を行い各地域へ喜びの種を蒔いています。
新聞販売店2社が無料で折り込みチラシを入れていただいたりと、
心ある人々が大きく動いています。
家庭の事情で高校へ行く事ができなくなった17才は、
誰よりも深く生きていく価値を知り、欲もなく目の前のその人にただ幸せを届けるために、
以前働いていたコンビニの人や元の高校の先生に、
それは、まるで幸せのチケットを届けているように休日に無垢の心で神々しく出かけています。