高齢者虐待の考え方
(実践者研修資料つくりから)
「自分は虐待なんてしていませんよ」と思っても学びから「はっ!」と気づくことがありますね。
虐待と思われるケースの多くは「適切なケア」か「不適切なケアなのか」と一般の方が目にすると多くは「変だ」と気づいている場合が多くあります。
無我夢中のもくもくと働く介護から、知らずしらずのうちに“自分達主流の介護”へと方向転換し「非意図的虐待」へと移行していることがあります。
昔の多くの介護は(全部ではありません)、一方的な全体介護方法しか浮かばなかったのですから、その流れを汲んでいるのであれば検証が必要なのかもしれません。
介護は“新しい介護”へと方向転換していることの学びが必要です。
しかし改善しようと思ってもリーダーの力量のレベルがどこなのか、二番手、三番手が気づいても大きな山を越えなければならないのですから、
経営者、理事長、管理者、リーダーは常に学びが必要なのです。
特にトップは、日頃の現場へ行き自分自身で目にすることが大切であります。時間は多くは必要ありません。
理念をしっかり持っているならば瞬間で見抜くことができるでしょう。
人の命を預かることは、そう簡単な事ではありません。
〜検証してみましょう〜
・ 体位を変えるとき、言っても利用者は理解できないので黙って行う。
・ 利用者がいる前で、その利用者の状況を話す(○○さんって、おしっこもう出た?など)
・ 利用者を職員の前に座らせ、立ったまま食事介助をする。
・ 利用者に“一律”にちゃん付けをしたり、子供扱いをする。
・ 利用者が危険な行為をしそうになると、つい怒鳴ってしまう。
・ 利用者それぞれの心身機能の把握をしていない。
・ 利用者それぞれのケアプランをしらない。
・ 車いすのベルトは身体拘束だと言われたので、テーブルやイスで挟んで動きにくいようにする。
不適切なケアの段階で気づきを得ることは虐待の芽を摘むことになります。
緊急・やむを得ない場合には理由と記録が必要です。
引用文献 認知症介護研究・研修仙台センター高齢者虐待防止 教育システムより抜粋