心の琴線にふれる
森 信三氏の『人生論としての読書論』という著書があるが、
その本の一説に、
われわれにとって必要な読書は、
二度とない人生をいかに生きるべきかという問題を中心とする読書、
即ち人生論とか宗教関係の読書と
自己の職業を中心とする読書、即ち専門的な読書と
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以上の二つを合わせたものを延伸としつつ、
自分の生命力を半径としてできるだけ大きな円周を描こうとする読書、
広域における教養としての読書という三つの部門に分けて考えることができる・・・・と。
この信三氏の本も随分前に手元にあった本であるが、
いくつかの時を過ぎようやくもう一度読書する機会を得たが、
本の方からようやくOKが出たのかとも思えてくる。
今朝は、遠藤周作氏の『深い河』について
心のどこかで『そうだ!そうだ!』と共鳴する叫びを感じながら、
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昨夜の玉置浩二氏の音楽を通し
心の琴線に触れる感覚は世界中の人々に伝わるものであり
『宗教も音楽も本からも原点は、どちらも同じだ』と
互いに探り求めている姿に重なり合う部分があった。
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誰もが皆、
等しく生まれた生命の今の立場から
家庭を守る人も
病気で闘う人も
心を痛めながらも努力されている人も
床に臥せている人も
老いて一人で家族を案じながらも『元気でいよう』と努力されている人も
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個々の円周を描き切ることができるかという自問自答しながら、
生きている姿こそ
人生を乗り越え生きている逞しさであり
誰もが認めなくても自分自身が『良くやった!』と
言える日々の積み重ねなのではと、
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まだまだ読み込む力が必要であり浅学であるが
今日という日に感じた思いであり、
また、そうしなければもったいないという想いも過った。