小中学生体験学習から思うこと(1番地高田)二宮尊徳からの学び
小中学生の体験学習の感想 (エーデルワイス1番地 高田)
当日は、ちょうど勤務日で夜のテレビ放映も利用者様と一緒に見ることができました。
テレビに映るよ!との言葉に、「子供達もどんな風に写るだろうね」「孫やひ孫を思い出したよ」など、昼間の取材を思い出していた人もおりました。
利用者様達は子供達との昼食時は、「おいしいかい」「今日はよくがんばったね」など、懸命に子供達を労っておりました。
帰りには「がんばったよー」「えらかったねー」「また、来てね」「まってるよー」などとやさしい言葉をかけてくださるのが印象的でした。
今の時代、おじいちゃん、おばちゃんと係わる機会が少なくお年寄りに対してどう対応をして良いかわからない、又は恐怖心などマイナスのイメージをもつ子供さんも多いと言います。
そんな時代の中でお年寄りと、ふれあう体験というのは子供達の老いに対してのイメージをプラスにし、人の役に立ちたい、助けてあげたいという人としてとても美しい心を育ててくれる学びの場だと感じています。
これからの時代に対応をしていく為にも子供達の心の教育の為にも利用者様の力をお借りして
こういう体験学習の場を継続できたらと思います。
また、ホームの取り組みを市民の皆様に知っていただくこと、これも介護の不安に対してプラスになっていくのではないかと思います。
私も少しでも学んだことを利用者様は、もちろん地域の皆様にもお返しをさせていただかなければと、思いました。
1番地 栄養士・2級ヘルパー 高田でした。
★★二宮尊徳からの学び
塾長の2008年11月29日ブログより引用
勤労」とは、働くことであるが、人間にとっても、身をもって働くことが大切で、必要なものをいくらでも得ることができる。しかし、何かを得るため、手に入れるためだけに働くのでは本当の勤労ではない。受けた恩徳にお返しするために、自分の徳を生かして働くことが大切である。そのような働きが人間を向上させることにつながると尊徳は考えた。
「分度」とは、人には、決まった収入がある。それぞれの人がその置かれた状況や立場をわきまえ、それにふさわしい生活を送ることが大切であるという教え。鉢植えの松の枝をのび放題にしておけば、やがて根が衰え枯れてしまう。同じように収入が少ないのに、派手な生活をすれば、やがて生活も崩れてしまう。収入に応じた一定の基準(分度)を決め、その中で生活する必要性を説いた。この経済上の分度は一軒家だけではなく、一つの村や町、県や国、一つの会社の経済にも当てはまる。また、分度は経済面だけでなく、健康、体力、あるいは自然開発などについても大切である。
「推穣」とは、物やお金だけでなく、「道を譲ること」「席を譲ること」にはじまり、「力を譲ること」、つまり力を貸すこと、手助けすること、ボランティア活動、奉仕活動することも推穣である。
尊徳は、「譲る」という言葉を大切にした。分度を立てて余ったものを将来のために残す(譲る)。あるいは人のため、世のために譲ることが人間の行いとして大切なことである。人間と獣の違いはこの「譲る」ということが歩かないかであると教えた。この「譲る」という考え方を「推穣」と呼ぶようになった。
将来に向けて、自分の生活の中であまったお金を家族や家のために蓄えたり(自譲)、他の人や社会のために譲る(他譲)行為のことをいう。人は、譲り合うことで初めて人間らしい生活ができると説いて、推穣の精神が人々に平和と幸せをもたらすと教えた。