縁なき衆生は度し難し

 時にはゆっくり体を休め栄喜を養うことも大事であるが、同じ北見市内に住みながら疎遠になって礼を失している自分を、ふとしたことから気づき昔の懐かしい20代の頃お世話になったYさんの家に訪問させていただいた。

 

 突然の訪問にも関わらず玄関へ入ると、なつかしい声が響き、その頃の自分を思い起こすきっかけとなり、わずか20分ほどの滞在であるが亡きご主人の仏壇に日頃のご無沙汰と当時お世話になった思いを今の50代の自分からお参りすることができた。

 

 20分ほどの滞在中に、近所の老夫婦の相談を受けたりと、自分の体も大変ながらご近所の事を心配する姿に、日本古来の近所の姿を垣間見たような気がした。

 居心地がとても良い。ぐんぐん、乾いた心が満たされる思いがする。

 やはり自分も含めてこの日本に、お節介の”およね”さんの存在が必要であることを再確認である。
 当時、姉のような存在で、お世話をいただいた奥さんの心からの歓待と、たくさんの心のこもったコーヒーは格別の味であり、最高級のホテルのコーヒよりも、はるかに美味しく感じる。・・・・

 

 まだまだ、お世話になった人へ礼を失している自分がいることに反省である。
たくさんの忠告を塾でいただいているのだが通り抜けている自分がいる。
人としての調和、全体の調和を大切に互いの縁を大事にしていきたい。

 

 時間は無いものではなく、つくることが大事であることを喜びから感じ取ることができた。

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