「微笑」”みしょう”
幼子は道端の木に話しかけ、
うなずき、
会話をしている。
もの言わぬ木に話しかけている。
松原泰道氏の著書(観音経入門)の中にも、
幼少の頃には、道端の石や草にも木々にも、
音を聞くることができ、
それは、音を観るとも、もっと深めると視ることになるのだと。
1本の電話から、相手の心の中まで視えてくるように、
確かに、その人の優しさ、喜び、感謝等、
その人がどのような体勢で話をしているのかが心の中に視えてくる。
人には限りない力があり、
相手に届ける少しの優しさは、
自分への生きていく力となり、
その瞬間、苦しかった今は過去になり、
届けられた微笑は観音の”みしょう”となり、
互いの心の隅々まで清めていく。
祖先から受け継がれた命は、
全うするものであったことに気付き、目覚め、
慟哭寸前の中においても微笑むことができる人は、
観音であるという。
自分の願いを叶えるのは自分自身であることを知ると、
苦しみは課題となり、
課題を克服するための、
為すべきことが一つずつ視えてくる。
視えてきたものを一つずつ、
力むことのないゲームのようだと、
チャレンジしていくと、
新たな希望が視えてくる。
人は、知らぬ間に知恵と慈悲と勇気という大きな力をいただけている。
苦しいときこそ笑顔を絶やさず、
目の前の人々に笑顔を届けよう。
笑顔は、相手の心の中に光を与え、
笑顔は安らぎとなり、
癒された心から夜の眠りへとつながり、
力強い明日が生まれてくるのだから・・