水田をつくることができる喜び
札幌から岩見沢、
旭川へと近づくにつれ、
水田が多い景色に驚く。
今まで列車の中から何気なく見ていた景色であるが、
3月の大震災から地理的にも近い北海道に住む自分も大きく心の有り様が変わり、
大きな地震、
大きな津波、
原子炉の暴走、
放射能からの影響と、
誰もが心の中に心を許さない”大きな黒い影”を持って生活しているように思う。
戦前を知らない自分にとっては、
”見えない戦争以上の苦しみ”なのだろうかと戦争で苦しんだ人々の気持ちが初めて理解できるような気持ちになる。
しかし、マイナスばかりではない。、
大きな心の痛さから今まで感じ得ることの無かった本当に必要なもの、
真の幸せを見定める目が養われたのか、結婚する女性が多くなったのだと知る。
(江別郷土博物館)
家族、
離れていても何かしら感じることができる家族、
いつも一緒にそこにいる家族、
本音で語り、本音で暮らす家族の形態の中にこそルールがあり、
そのルールの上に成り立つ家族がある。
集団に生きることや
家族というミニ集団の中にも結束や違反しないルールつくりが必要なのかと、
新たな思考回路から新鮮な空気が入り曇っていた細胞がほんの少し活性化したのかと思う。
道元禅師の歌に、
「極楽は、まみげ(眉毛)の上のつるしもの あまり近さに見つけざりけり」とあるが、
極楽は、あまりに近くて見つけにくいものとうたっている。
本当の幸せは、
すぐ身近にあり、
今まで普通の暮らしと思っていたことが一番の幸せであることに気づく。
水田をつくることができる喜び、
稲穂が実る喜び、
「この北海道の稲が被災地の分まで少しでも肩代わりできるように」と、
水が引きつめられ苗を待つばかりの水田から、
北海道の大地の力強いパワーが感じられた。