みそ樽の話
母方の亡き祖母にまつわる話を出かけた講座で知り、
早速、母に電話で聞いてみた。
みそ樽は、母も良く記憶に残り「ピカピカだったと言っていたでしょ」と、
話が終わらないうちから話しだした。
母方の祖母は福島出身で、3年前にも母親と尋ねたことがある。
驚いたのは家からあまり離れていない小高いところに墓が身内ばかりでかたまっていた。
母親は、よく祖母から「できた人が嫁に来てくれた。お前にはつとまらない」と聞かされていたという、
従兄弟のお嫁さんと抱き合うように田んぼ脇の道路を歩いていた光景を思い出す。
福島で生まれ嫁いだ祖母は、二親とも武士の流れをくむ家であり、
武士流の生き方の中での生活は厳しいものがあったと思うが、
それは、今の自分の母親にも強く生き方に感じられるところがある。
今でも、「陰の一家の大黒柱」のようである。
自分や孫達にも厳しく諭す場面が多々ある。
電話口から援農(えんのう)の話も聞いてみた。
母は、「そうそう、遠くは鳥取からも来たよ」と、
懐かしそうに当事を振り返る時間を、きっかけとなった笑いの講義からいただくことができた。
「笑う門には福来る。」
笑いの伝承は、今年88歳になる母親との貴重な時間となったことへ感謝であるが、
福島飯舘村の山津見神社神殿の剣をふと思い起こす場面となった。
日本古来のものを大事にすること、忘れていることを改めて思い知らされる時間をいただいた。
ありがたい・・・・