教育は 教えるほうが 教えられ育てさせていただいている
教育は 教えているつもりが
スタッフから 教えられ育てていただいていることだと
年々 気づきの場面をいただく
あるときは面接の場面でも
今までの自分の成長度合いで 互いに苦労するだろうなと
勝手に判断を下していたこともあったが
今思うと大変失礼な話である
数年前から 自分の未熟さから あやうく ぎりぎりのところで
かけてみよう! と ブレーキがかかり
縁のあった人々がいるが
今や その人々に 随分と多く助けられている自分がいる
いかに 自分の判断が間違っていたのか
見る方向が違っていたことを思い知らされる
知らずしらずのうちに 学校教育の目線の置き方に焦点がセットされ
大事な人材を見失うところであったが
視点の違いを教えてくれたスタッフの 目には見えない
言葉では上手く表現できない
奥のおくの方に ひっそりと 隠れている
生まれながらに身に着けていた
底力を見つけ出す訓練をさせていただいている
人の力を引き出すことは 商いと同じく
飽きることなく 喜び探しを続けることなんだと理解するが
小さな目の前の 幸せをとるのか
大きな地球の 幸せをとるのか
世の中においても 喜び探しの視点も 大きくずれないような生き方が必用なようだ