鑑真和上
奈良 唐招提寺は
759年 鑑真和上によって開かれた
国によって開かれたものではなく
あくまでも私的な 寺院として開かれたという
私的な寺院と
北海道家庭学校(旧教護院)の設立に奔走した
留岡幸助氏が重なってくる
688年 現在の中国に生まれた 鑑真和上
14歳で出家
6度に及ぶ日本への苦難の渡航であったが
一度たりとも 日本への渡航を断念することは無かったという
仏教伝来から200年当事の日本では
仏教会は乱れ
労役逃れ 税金逃れの為に 僧侶になる人々が多く
鑑真は自国の安泰だけに留まらず
仏教による隣国の腐敗を案じた思いが
正式な受戒を授ける 原動力となったのだろうか
戒律を説き 行く先々で仏の教えを説いていった鑑真和上
法を伝える為 人を育てる為にと身を尽くした
唐招提寺に眠る鑑真和上の墓から
凛とした静けさの中に
強く 生きよ 自分以外の人々の為にと 訴えてくるものがある
以前 知識もなく 坐像とお会いさせていただいたが
鑑真和上の 体格の良さ
強靭な精神力と共に 微笑をたたえた深い表情
仏の教えがそのまま 坐像に現れていたのだと今更ながらに再燃する