真実の人としての幸せとは
人の幸せ
人としての幸せとは
ある人にとっては子供を一流の大学へ入れることであったり
財産や車、健康など、それぞれに浮かんでくると思われるが
それでは、
真の人としての幸せとは一体何なのだろうかと考える。
一流の大学とは縁が遠いが
地元でコッコツと生計を立て親を見守りながら
「具合が悪い、
足が痛いと」そのつどそばで支え自然体で生きている人もいる。
何とは無しではあるが
その人々には無数の後光がさしているようにさえ思われてくる
今、数名の医者から、
症状の説明から、いつどのような場面がくるかわからないと言われた方が
認知症の混乱期が終わり
仕事も終了したという娘さんも含め
「最後はこの場で良いですか」との問いがきっかけとなり
“自宅で介護しよう”と生み育てた娘さんらが結集を始めた。
娘さんが「母さん・・家に帰るかい」と伝えたら「帰る」と言ったんです。と・・
「すごいなー!すごい!」
自分には本等にできるだろうかと
「長期になることもありますよ」と、まるでテストをするかのように
老婆心ながらお伝えしても一向に意見は変わらない。
せっかくの親孝行を何とか支えさせていただこうと
居宅やデイサービス、グループが
本人にとってベストとなるべくあらん限りの知恵を出し合い
7日の在宅へ向け
協力病院の医師も訪問看護も
チームの真ん中にどっしりと座り方向性を示唆していただけている。
不思議なことに在宅の方向が決まると食欲が出てきているのも自然な現象なのだろう。
正直に家族と向かい合う場面は
幼い頃の忘れていた家族の姿を取り戻し
人として懸命に子供を育て
「苦労した母親だから」と語らせる親の教育の賜物だと
認知症介護の最終の場で改めて教育をいただける場面を頂戴した。
あとは、距離を置き
大きく見守り”真の手助け”が必要なときだけそっと近づいていこう。