今日も通り過ぎる人生の一場面
京都から仕事で北見へ転入し
その後も北見で頑張っている親しい知人と
互いにメール近況報告となったが、
彼女のひたむきに突き進む行動から、
多くの刺激を受けさせていただいている。
定年と同時に新たな研究の道へ一歩踏み入れ
若者と共にチームとして研究を求めていくことは
互いにご苦労もされていると思われるが、
知らないからこそ素直に言える言葉や感動は
今まであたりまえと思っていた研究者等や若者にも
新鮮に観ること・感ずることの角度の違いを与えたのではないかと思う。
僭越ながら自分も「介護というより研究の段階のようですね」と、
ある方に言われたことがあるが、
自分は単純に「もっとこうしたら良くなるのではないだろうか」と
喜びから、新たな喜びを求めているからであり、
研究者ではなく、
「ご利用者の安定した心と最終にある、その人と家族の復活」を求めているのだと
このクリスマスに親しい知人の便りから気づかせていただく場面となった。
新しい分野は誰もが挑戦できるものであり、
そこには固定概念もなく、
レベル差もなく、
今まで仕事ができないと思われてきた
「ゆったりと、対応する人」が
一番、心地良さを提供しているなど、、
今までの常識を覆す社会的一面にまで及ぶことができる。
(ご利用者手作りクッキー家族へのプレゼント五号館)
人は通り過ぎる人生の一場面で
精一杯働く人々に、
誰も耳を貸さなくなった真実を求めている人々から
多くの力を授けていただける。
人が人に勇気を与えることができるのだ。
こんな素晴らしい喜びはない!
(帯広北海道ホテルの暖炉)
(デイサービスエーデルワイス)
今日はイエスキリスト様が誕生した日に
清々しい時間を朝からいただいた。
地球上にある真実の宗教とは
利益を求めない無限の愛で人々を支え
真綿のような弾力のある安らぎの中から
生まれながらの素の自分と向きあう時間を提供し、
教化し、生きる力を授けていくものなのだろう。