アルツハイマーデーと素敵な時間
アルツハイマー病の患者は今や世界に1500万人と言われています。
北見市でも認知症の人と家族の会が中心となり昨日、パラボ(旧東急)前にてアルッハイマーに対する理解を求めたビラ配りを行いました。
北見市職員の方も休日返上のボランティアで出席です!
網走ブロックからも北見市内の数名が自主参加をしていただき、ご褒美のようにブロックの仲間とのコーヒーを飲みながらの語らいは、心をほっとさせる場面となりました。
中でも、美人のYさんは数年前の顔つきと、まるで違うほど柔らかい笑顔となっていました。
失礼ながら、ご苦労されたのね・・・とっても険のとれた優しい顔になって、ますます美人さんになりましたね・・と思わず声をかけさせていただきました。
退職し回り道をしながら再び戻られたYさんから、「当時は、何としてでも頑張らなくちゃ!」と、いう思いが強く他の職場へ行ったときにも、そうなのか・・・自分がまず相手を受け入れることなのだと理解しました・・・と、話すYさんの目にはうっすら涙が浮かんでいました。
自分が謙虚な気持ちになりレベルアップする時には、天から使命を受けたかのようにYさんには札幌研修でレベルアップの気づきをいただき、更に北見ブロックから看板を背負っての研修に抜擢と新たな幕開けが始まりました。
Yさんを見ていると老人保健施設を背負っていた当時の自分と重なりました。何が何でも、がむしゃらに守り抜かなければいけないと、肩肘張って生きていた自分と重なりました。
塾長の新刊 (心の教訓より)に記載されていました。
ゆたか
1.心に物なき時は心広く体泰なり
(自分を見失わないでいられる時は、心が広々として、身体もゆったりするものだ)
まま
2.心に我が侭なき時は愛敬失わず
(我が侭に振る舞うことがなければ、人に接する時も柔らかくなり、敬えるものだ)
納得です!自分は我が侭とは全く違うと思っていましたが、コミュニケーションを持たない指示・命令はある意味”我が侭”に他ならないのでしょう。
どうしたら、この思いが伝わるのか、相手はどのように感じているのだろう・・・と常に考え相手を思いやる心があれば、どのような人と関わっても心の中に余裕ができ、どのような言葉もキャッチする事ができるのでしょう。
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心の余裕は相手を包み込む笑顔となって現れてくるのですね。
同じ市内の介護現場で働く仲間と素敵なコーヒータイムの時間をいただきました。