エーデルワイススタッフへ( 仏師の気持ちで向き合う心を教えていた だく  )

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今までにない、重度の方のお世話をさせていただく場面をいただいている。

食事もトイレの意味も忘れている。中核症状は全てあり、それに伴い周辺症状の現れ方も瞬時に現れる。

 

 

 

 

 

姉妹が肩を寄せ合い、時には深い愛情をいただいた両親への思いが葛藤する中、必死に介護をされてきた。

心も体もぼろぼろになりながら・・・

話を伺う傍から、亡き父への思いが彷彿し号泣へと・・・

 

 

 

介護の辛さは言葉では言い表すことができなかった。

 

 

 

 

 

 
とうとう、体は悲鳴をあげ病院へと・・・限界はとうに超えていたのだが親を思う気持ちだけで3人が頑張ってきた・・・

 

 

 

 

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昨日、利用者様の食事介助をさせていただいた。

 

自宅でも、通所でも一日の量がごくわずかであり栄養補助食品を少々飲んでいただいていた。

 

 

 

 

 

 

センター方式データーから嚥下も問題なく、ストーリーの世界を邪魔せず一口大の赤飯を視野に入らず、本人の手となって黒子のように横に寄り添い右横背後から手をまわし食事を支援すると、赤飯を茶碗一杯分の量を召し上がることができた。

 

 

 

 

 

 

お茶も”お父さんと一緒”とB2シートからの言葉を引用。・・・・小さな声でささやきながら邪魔にならぬよう飲んでいただくと湯飲みに1杯飲んでいただけた。

 

 

 

摂取後はタクティールを背部に施行。

 

 

 

 

気持ちを確認しながら、できる範囲でゆっくり、ゆっくり円を描くように「辛い心よ、この手のひらに吸い取ってやすらぎを与えてほしい」・・と念じながら円を描いていくと・・・・

 

 

 

 

 

すると「ふーっ」と大きなため息がでた。2〜3秒おいて聞いたことのない古い歌のようなメロデイを口ずさみ始めた。

 

 

 

 

認知症になり、今の世界と昔の世界を行ったり来たりしている姿は、まさに迷子だったのだろう。

 

 

 

 

 

迷子から、どこかでゆっくり、くつろげるところができたのか、よほど辛かっのだ・・・と思うと認知症の苦しみが、どんどん伝わってきた。涙が自然にあふれ介助していると、傍の土田リーダーも同様。

 

 

 

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距離をおいて部屋の入り口には、デイとグループのスタッフが集まり感慨深い面持ちで、こんな手法があったのかと・・(後に桜井リーダーより)

 

 

 

 

迷子になって苦しみ悲しんでいる人には優しくいたわらなければいけない。

 

 

 

 

ご本人の魂に「やすらぎが届くように」と一心に思い介助をさせていただく中に、仏師の一彫り毎に“御仏様”を念じながら仏像を彫るのと同じではないのだろうかと思い至る。

 

 

 

 

認知症の人の思いを汲み取ろうと一心に介助すると、必ず相手の心の中にある御仏様に通じるのだと・・・

 

 

 

悩み苦しんでいた個人的な感情の到達が、改めて認知症の人から教えていただいた思いである。

 

 

 

今までの視野に入る大事さも、食事介助の基本とは正反対であるが、基本をベースに介護者の柔軟な姿勢が、きよちゃんには必要であった。

 

 

名前も○○さんと呼ぶよりは、きよちゃんと呼ぶ方が反応がよい。

 

 

 

きよちゃん、何才・・・と耳元でささやくと・・・忘れたよ・・・2じゅう・・・3才・・・・

大きなため息をつくことができ、迷子から心が落ち着く時代は20代であることが判明。

 

 

 

 

 

このあと、20代の出来事を調べていく事を、ご本人から教えていただいた。

人生の中で、ほっとできる場面は20代だった事を・・・

きよちゃんは、エーデルワイスへ認知症を教えに来ていただいた先生である。

きよちゃん、ありがとう!

 

 

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