子供と地域

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子供の頃からの地域の人々との交流は学校の勉強が比較にならぬほど大きな財産となる。

 

 

 

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親や兄弟以外の交流場面では適度な緊張やナイフを使う工作場面では、

 

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祖父のような指導者から

 

「その使い方では危ないぞ」と注意されることで命の大切さを知る場面であったり、

 

 

 

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高齢者との交流から涙を流し喜ぶ姿に感動を覚え、

 

認知症の辛さや高齢者の体の不自由さを知ることにより

 

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自分は「医療や介護に進みたい」と

 

子供時代ならではの感性を養い生涯に亘る財産をキャッチする場面となり、

 

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回を重ねる交流から緊張もほぐれ物怖じせずに話ができるようになる。

 

 

 

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しかし、年をとることはこの感性が子供の頃のようなわけにはいかず、

 

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小学校の「お話会」や「サポーター養成」からも

 

心のままの素直な言葉や感情の表出に

 

 

感動や物事への集中力を養うのは子供の頃が一番なのだと感じる場面がある。

 

 

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今の時代には珍しく

自宅前の道路を黒板のようにチョークで書き遊ぶ小学1年生等は、

 

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隣の家の楽しみに育てた“ぶどう”を無断で食べて叱られ、

 

親等の平身低頭に謝る姿から社会の秩序を知り数日間だけ神妙な顔をし、

 

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散歩中の隣の猫を見つけると大きな声で名を呼ぶと

猫はごろんと横になり、

 

「遊ぼう」と猫の方から手足をあげ待ちスタイルの場面を見せていただける。

 

 

 

 

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子供の頃の感性はあらゆるものとも話ができる可能性を秘め、

 

近所の人や子供等との交流で人とのふれあいを肌で感じ、

 

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大人になった場面には

叱られた隣の人等に優しく接することができるようになるのも、

 

このような幼いうちからの交流場面が積み重ねとなっていくものなのだろう。