震災から2年が過ぎ、声にならない現地の声を゛風゛から教えていただいた 。

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東日本大震災からの倒木のバイオリンのように

美しい音色を奏でながら記憶に残そうとする働きは、

震災当時の様子と松林の景観を言い伝え共に残す働きとなる。

 

 

 

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昨年、仕事で出かけた仙台でタクシーの運転手さんから、

被災にあった女性は病院で勤務中の現場に津波がきて流されながらも柱に夢中でつかまった。

 

次々と人が流され、

女性もやっと柱にしがみついていたが

同僚等が「たすけてー」と叫ぶ声を聴きながらも何もするこができなかったと、

話していた・・・・と話を伺った。

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震災後2年を迎えたその日、

何もしていない自分は心苦しく言葉にすることさえもできなかった。

 

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先日、やっと南三陸や名取市の現場を目の当たりにし

やっと語り継ぐことの大事さが湧き上がった思いがする。

入所者を助けようとして施設の職員も亡くなっている。

津波を避けようと高台へ入所者と共に避難することができたら、

もう現場へ戻ることはやめようという意見もある。

 

 

 

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現地を訪れて初めて体験できたこと、気づいたこと・・

仮設商店街では「2週間前に開店したんだ」と、

病気と闘い「治療費を捻出する為だ」と、素朴な優しさで迎えていただいた。

 

 

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側で片言で日本語を話す妻の姿が

遠い記憶の中にある日本人のように温かく支えていたのも印象的だった。

 

 

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現地が2年を向かえやっと整備されつつあるが、

もうそこには津波の心配がないような工夫が為されようとしているのだろうか、

 

 

 

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整地と安全は同じレールに乗っているのだろうか。

疑問が湧き上がった。

 

 

 

 

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そして、

体験した人々の話を語り継ぐことの大事さ、

 

 

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震災後、互いが食べ物を持ち寄り

救いの手を待ったが、何日も何日も食事が届かなかった人々がいたこと

 

 

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日本においては初めてではない大震災から、

どうして復興が遅れているのか、

 

 

どうして家があっても戻ることができないのか、

 

 

 

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この現実を二度と繰り返さない為にもあらゆる原因を追究し

どのような原因が出てきても、

日本で起きたことを日本人として真摯に受け止め

今を生きる誰もが納得し

後の世の人々に言い訳の無い真実を自分等が語り継ぐこと

 

 

 

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そして、助かった人々がなぜ、自殺をしなければならなかったのか、

助かった人々の苦しみも忘れてはいけないことだと

未来の人々へ恥じない結果を残さなければならないことを

声にならない現地の声を゛風゛から教えていただいた。