甥子と父親の介護の会話から
昨日は、久しぶりに甥子と会話をする時間をいただいた。
甥子は一人っ子で、
兄弟が無く一人であることを痛感したのは
親の介護からで
「人の情けがありがたい。周りの人々に助けてもらっている。感謝している」と切々と話す時間となった。
母親を亡くした後、
父親は元気にお気に入りの方の政治活動に励み、
当時は「自分は介護が必要になったら代議士に頼んで入れてもらうから安心なんだ。約束したんだ」と、
安心した表情で活動に励んでいたが、
超高齢社会の介護の窓口は狭き門となり、
脳梗塞からの後遺症もあり自宅での転倒を繰り返していたが、
このたび、やっと自力で特養へ入所することができた。
甥子は離れて暮らしていても、
夫婦共稼ぎで進学中の子供への仕送りと、
仕事の責務と介護の悩みからの葛藤が大きく押し寄せていたようだ。
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北見の介護殺人事件についても、
「他人事ではない、その気持ちは痛いほどすごく分かる。俺も嘆願書の署名をさせて欲しかった」と
甥子の悩みの深さを知ることとなった。
2025年に向かい、
身の安全を守る群れを成す動物のように、
核家族からの身内の結集や地域の助け合いが、
誰にでも本能的に必要な時期がすぐ側に来ていることを嫌でも感じる場面が来るのだろう。