今から10年後の先を見る。
今から10年後の先を見る。
今から10年後、辺りはどのように変化をしているのだろう。
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まず、現在の地域をみてみよう。
過去の認知症の人の推計を大きく上回った
2050年の認知症患者の推計数が約40年も前倒しで2013年にやってきた。
ケアマネが、いろいろな言い方をされているが、
視点を変えると、この40年前倒しでやってきた認知症の人々を対応しているのは、
一番の家族であり、地域の商店街であったり、金融機関であったり
心身の体調不良からの病院・施設・地域密着型サービスであり、
何よりも真面目に奉仕する町内会役員や民生委員の精神的負担もかなりなものである。
医療の算定期限で返される人を受け取るケアマネの疲弊感は、
本人の混乱、在宅介護者の疲弊から
何とか施設を探そうとするケアマネの心模様は誰にも責められるものではないように思えてくる。
しかし、今後の10年間は、
閉じこもりの青年等も年齢が増していることや、
ますます高齢者のみの世帯や単身世帯が増し、
知らぬ間に息を引き取っている人や、
徘徊をする人々が増してくるのは火を見るよりも明らかである。
町内の世話人と称するような有償ボランティアの人々を依頼するのは、
もしかすると保険者が率先して行うようになっているのかもしれない。
日本人は先を見るのが苦手と言われているが、
この誰もが予想すらできなかった認知症の人の数にあった災いが起きていても、
自分も含め、まだまだ個人としても、地域としても、
社会としても数に沿った対応に比例しているものは見当たらない。
自分自身への捉え方も
天命は誰にもわからないが、
いつ命が絶えても職員を路頭に迷わせない組織の継続や
介護を通した徳を積む職員への教育の在り方、
身辺においての
大きな視点からの荒治療が必要と考える。
しかし、ポジティブな視点で見ると
超高齢社会の日本は、
世界の先を行く先駆的な日本人としての発信ができる可能性も残されている。