「キューブラー・ロス」の本を今一度

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久し振りで本を手にする時間に感謝である。

人が手にする本は限られている。

自分が求める本を手にしたときはとても嬉しく縁を頂いたような心もちになる。

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何度も読んでいる本であるが

今ひとたびキューブラー・ロスの死ぬ瞬間を読んだ。

初めて手にしたときはホームで義父を看取った後、

また、看取りの経験を何度もさせていただいた後に

何度か手にした本である。

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また、今

新たに気構えを再構築する為に読ませていただいた「死ぬ瞬間」。

読む毎に入る感覚が違ってくる。

読み初めには心のどこかで恐れていた「死」の言葉が、

幾度かの看取りの体験から、

すんなりと

葛藤を乗り越え看取られる人の最期の場面の様に

気構えなく

年齢と共に受け入れる事ができているように思えてくる。

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日常的には忘れているが

人は独りで誕生し

また、独りでもと来た世界へ帰っていくのだから

本当は、体験していることであり、

何も心配することはないのだろう。

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文中の言葉に

「解決すべき問題が具体的ではない患者の場合は

理解ある人が

座って耳を傾ければそれで十分である」とある。

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これは、自分と言う自分がだめになると自覚し葛藤する認知症の人にも当てはまる。

時間も、季節も、家族の事も、

忘れていくどうしようもない自分が嫌になり

「死んだ方がいい」と訴え混乱する部分である。

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認知症からの混乱と

死への恐怖と

自分が生きてきた人生への悔やみや

解決できていないものが自分を襲ってくるのか。

周りの人等は

傾聴し

「苦しいのだな・闘っているのだな」と共感させていただくだけでも、

鋭敏になっている人等には瞬間であっても緩和される時間となるのかもしれない。

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臨終の場に家族が揃い、

感謝の言葉をかけ続けたり

「ありがとう」と言葉に言えずとも

手を握りしめたり、

さすったり、

ただただ心の中で「感謝の言葉」を叫び続ける人々の魂と見送られる人の魂が

しっかり結びついた最期は

言葉では表現できないほど

安らかで残された家族も穏やかで見送った後の苦しさが少ない。

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日常の暮らしの中では考えもつかないが

人が一番望むものは、

この“とき”であり

お金では買えない莫大な価値のあるものだが、

しかし、

***

手に入れるには

後に後悔するような出来事の「選択を間違えないぞ」と闘う自分と

何度も何度も失敗からも立ち上がり

その都度、

前に進もうと謙虚な自分をとりもどし

一つひとつ丁寧に乗り越えていく

多くの時間を必要とするようだ。