「納棺夫日記」作家青木 新門さんから思うこと

 人生において辛い、悲しい、もうこんな人生とはおさらばしたい・・と思うことは永い人生という道のりの中で一度や二度は誰しも訪れるものである。私自身それが今の原動力となっている。
「これからが新しく生まれ変わることが出来る人生だ、もう一度生きているうちに違った人生をトライしよう」と思ったことがある。
 それからは、人様に迷惑をかけなければ思いっきり人生を生きていこう。生まれ変わったのだから、同じ自分ではおもしろくない・・・と、自分を変えていこうと努めてきた。

PTA活動
ボランティア

 その様に思うと以前21歳の時に、郵便局長の奥さんがデパートで掃除を行っているのを見て、すごいと思った事を思い出した。
その頃の自分は「カッコツケマン」だったのでとうてい出来ないことだと思った。

 その事が、自分が変わろうと思ったときにふと浮かんできたのである。
なぜ、その時まで思い出すこともなかったのだろうか・・・出来るのか・・出来ないのか・・しばらく自問自答が続いたが「せっかく生まれ変わったのに自分に挑戦をしないということはない!」という心の奥底で叫んでいるもう一人の自分がいた。

 6ヶ月後ジャージを着て、よそのおうちのトイレを掃除し買い物に行く・・・
非常勤ヘルパーとして、もくもくと働いている自分がいた。
非常勤ヘルパーがまだ北見市に4名ほどしか、いなかった時代である。

 今までの自分のこだわりは、自分の心の中の奥底での葛藤であり外見からはわからない。
こんな単純なごく普通のことでも一つを成し遂げた喜びが、じわーっと、わき起こる。

 生まれ変わった人生だから、良いことをどんどん行おうとも思った。
一日、一日を全力で生き抜くことが楽しいことだと理解できたからである。

 布団にはいると、ありがたい今日も頑張ることが出来た。
自分から発信することが出来たという喜びで一杯になる。
昨年、乳ガンの疑いがあった。周りは心配していただいたが心は落ち着く事が出来ていた。
心配していただいた事に感謝と心の中に満たされた温かい気持ちが伝わっていった。
ろうそくの炎のような穏やかな明るさの温もりを感じたのだと思う。

 青木氏の中にも人生の四季は年齢的に70代となった時には人生の秋と感じるかも知れないが、心の在り方次第では70代でも青春時代よりも若く感じると思うと言う。
残された人生を考えるよりは、「今を懸命に生きる」ことにより本当の季節感を味わうことが出来るという。

 人生のどこで打ち切られても良いくらい一日を充実して生きることを説いている。

インドのバラモン・マヌ法典には「四十期」という考え方があるという。

月刊致知から
★知識を学ぶ「学生期」
★結婚して家を養う「家住期」
★家を出て林で瞑想する「林住期」
★最期は死ぬまでの「遊行期」

 特に遊行期は全てを捨て去ると言う。
しかし多くの人は「家住期」でおさまってしまっているという。
人生を静かに反省する「林住期」もないまま人生の終焉を迎え臨終の時でさえ遺言相続を心配するという。

 お釈迦様は、35才で悟りを開かれ人々に知恵を授けられたように、自分のところだけ良ければ良いというものではなく、良いものを発見できたらそれを伝えて行けるようになりたいものである。

 その様に思っていると不思議なことに、良い言葉が集まってきたのでご紹介をする。塾長よりお釈迦様曰く「悟りを開くと言うことはたくさんの事を覚えることではない。たとえわずかなことでも徹底しさえすれば、それでよいのである」ただ一つの事でもじっくり真面目に務め上げる生き方が大事であると・・

                  施設長