姉と私

久しぶりに会う姉との会話は、一般的な姉妹の話とは違い最初から最後まで、ほとんどが介護の話で互いに意見の交換を行い何時間でも話すことができる。

 幼い頃、あまり裕福な家庭ではなかったが、母が姉と私の手を引いてお琴の先生の所へ連れて行かれた記憶がある。

たぶん姉が無理に両親にお願いし、お琴を習わすことになり私にもと思ったのだろうが、じーっと先生の指導をいただきながら長時間に渡って正座をする事に苦痛を感じ「嫌だ」と取りやめたと言う。やはり今でも正座は苦手である。

しかし、姉の発表会には一番前に陣取り幼い私は前列で舞台を見上げながら姉を見入っている自分が今でも脳裏に焼き付いている。その後、姉の見よう見まねで六段をひくことができる小学生の自分もいた。

2〜3年生の頃の私は、屋根に上り歌ばかり歌っていた記憶がある。

高いところが大好きで2階の屋根に登り真四角となった場所に布団を敷き空を見上げながら大声で歌っていた。

空を見上げるのが大好きで、今でも寝室のベットから夜空を見上げながら物思いにふけることが多くある。 今、考えてみても変わった天下泰平の女の子であったと思う。

姉は母に似て文才があり、高校生の文化祭の時には学級のシナリオを書きクラス全員が演じたことがある。 母は私達の小さいときから婦人公論を楽しみに、夜中に起きると読みふけっている姿を良く目の当たりにしていた。

生活の至る所で、いまだに劣等生の強い思いと戦っている自分がおり幼い時の思いは大人になっても重く心にのしかかることがある。

せめて7人の孫には、そのような思いは受け継がせないようにと、思う。

 施設長