「いのちは、いのちにとって良い方向に向かう」

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嬉しい2本のメール

 

 

昨日は父親の病気を案じる方とお話をする機会をいただきました。

 

 

話されているご本人には気づいていない心底から親を慕っている様子や、

 

今後の病状の安否を気遣っている様子を感じとることができました。

 

 

 

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そこには、今までの葛藤や苦悩など誰もが互いに生きている間についてくる垢はみじんもなく純粋に父親を慕う少年のような心がありました。

 

 

 

 

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その後、無事に手術も終了したと第一段階の安堵したメールが届き、嬉しい思いをいただいていると、

 

 

 

もう1本、別の方からのメールの文章の中に「天は見ている、見られているのか・・・」と思わせていただく関連するような文章が時間をあまり違わずして届いておりました。

 

 

 

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最近強く感じるのは、良い方向に向かうべくして向かうことは往々にしてある、ということです。

 

 

「いのちは、いのちにとって良い方向に向かう。何かこう、必然の流れは確かにあると思います。」という文章がありました。

 

 

 

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自分ではなく誰かのために「幸せになるように、良くなるように」と思う心は、

 

 

偶然ではなく必然的に良き方向に向かわされる働きが動くのだと2本のメールから感じさせていただく事が出来ました。

 

 

 

 

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喜べば 喜び事が喜んで  喜び連れて喜びに来る

 

 

 

昨夜の出来事を心のままに綴らせていただきました。

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